医療安全における「決断疲れ」

医療安全

― 判断を減らすことが事故を減らす ―

はじめに

医療現場は「判断」の連続である。

どの患者を優先するか。

この薬剤でよいか。

医師へ報告するタイミングは今か。

検査を先に行うか、処置を優先するか。

この値は異常なのか、それとも経過観察でよいのか。

 

一つひとつは小さな判断かもしれない。

しかし、一日の勤務を終える頃には、その数は数百回、多い人ではそれ以上に達しているだろう。

 

僕たちは「判断すること」が仕事だと思いがちである。

しかし、医療安全という視点から見れば、判断が多いこと自体がリスクになり得る。

 

人間の判断力には限界がある。

 

その限界を理解せず、「正しく判断できること」を前提に業務を設計すれば、事故は必然的に起こる。

医療安全とは、判断力の高い人を育てることではない。

判断しなくても安全に業務を進められる構造を作ることなのである。

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人間の判断力には限界がある

「今日は判断力が鈍いな」と感じた経験は誰にでもある。

睡眠不足の日。

連日の残業で疲労が蓄積している日。

患者対応が重なり、頭の中が整理できない日。

 

人間の判断能力は、常に一定ではない。

その日のコンディションによって精度は変化する。

 

疲労が蓄積すれば判断は遅くなる。

焦りが生じれば視野は狭くなる。

睡眠不足になれば注意力も記憶力も低下する。

 

つまり、「正しい判断をし続けられる人間」を前提に安全を考えること自体が無理なのである。

さらに、判断は使えば使うほど消耗する。

 

朝は冷静に考えられたことでも、夕方には迷いや思い込みが増える。

これは能力不足ではない。

人間の認知機能そのものの特性である。

医療現場では、この限界を無視して「判断する場面」を増やし続けていることが少なくない。

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判断が増えるほど事故は起こりやすくなる

事故の原因として「確認不足」や「思い込み」が挙げられることは多い。

 

しかし、その背景を掘り下げると、

「判断を必要とする場面」が多すぎたというケースは少なくない。

(実際現場のインシデント考察でそこまで掘り下げることは稀であり、”判断回数”に着目できる場面は圧倒的に少ない。)

 

例えば、

どちらの薬剤を選ぶか。

どちらの患者を優先するか。

どのマニュアルを適用するか。

どのルートを使うか。

どのタイミングで実施するか。

 

一つひとつは難しい判断ではない。

しかし、それが一日に何百回も積み重なれば、判断の質は少しずつ低下していく。

 

そして、その積み重ねが判断ミスや判断の遅れを引き起こす。

これは「決断疲れ」と呼ばれる現象として知られている。

重要なのは、人は疲れるから事故を起こすのではないということだ。

判断を繰り返すことで認知資源が消耗し、その結果としてミスが起こりやすくなるのである。

 

つまり、問題は人ではない。

判断を大量に要求する業務構造なのである。

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安全とは「判断を減らす設計」である

医療安全では、「判断力を鍛えよう」という発想になりがちである。

もちろん教育は重要である。

しかし、教育だけでは人間の限界は超えられない。

 

本当に事故を減らしたいのであれば、考えるべきなのは”判断を減らす方法”である。

標準化された手順を整備する。

薬剤配置を統一する。

誰が行っても同じ流れになる業務フローを作る。

迷いやすい選択肢をなくす(減らす)。

入力方法をシンプルにする。

 

判断を必要とする場面を一つ減らすだけでも、認知負荷は確実に軽くなる。

その積み重ねが、安全性を高めていく。

 

僕は以前から、「エラーは判断が必要だから起こる」という考え方を大切にしている。

もちろん、医療から判断を完全になくすことはできない。

患者ごとの状態に応じた臨床判断は、医療の本質そのものだからだ。

 

しかし、構造や仕組みで減らせる判断まで、人間に委ねる必要はない。

「どこに物品があるか」

「どの様式を使うか」

「どちらを選ぶべきか」

といった、本来なくせる判断を減らすことこそ、医療安全における設計の役割である。

冒頭にも伝えたように、人間の正常な判断回数には限界がある。

そのため、貴重な判断力は、本当に必要な臨床判断のために残しておくべきである。

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まとめ

医療安全は、「もっと慎重に判断しよう」という精神論では前進しない。

人間の判断力には限界がある。

疲労や睡眠不足、業務量、ストレスなど、

その日のコンディションによって判断の精度は変化し、判断ミスや判断の遅れは誰にでも起こり得る。

だからこそ、安全は人の能力ではなく、構造で支える必要がある。

 

事故を減らすために必要なのは、「判断を間違えない人」を育てることではない。

判断しなくても済む場面を増やすことである。

 

そのためには、「この判断は本当に必要なのか」という視点で業務を見直すことが欠かせない。

判断を一つ減らせば、認知負荷は一つ減る。

認知負荷が減れば、本当に必要な判断に集中できる。

その積み重ねが、結果として医療事故を減らしていく。

 

医療安全は、人の注意力や判断力に依存するものではない。

 

医療安全は構造で決まる。

構造とは、人が安心して正しい判断を行えるよう、不要な判断を減らす設計そのものなのである。 

 

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